二宮尊徳の思想に影響を受けた経営者はたくさんいます。
安田財閥を立ち上げた安田善次郎は尊徳の思想を実践し、
一代で多くの富を築きました。
真珠王の御木本幸吉は子供の頃から「伊勢の尊徳」になろうと決意していました。
松下幸之助も、その経営哲学は尊徳の思想に極めて近いものがあります。
「勤・倹・譲」が、二宮尊徳の編み出した報徳実践の三大哲学と言われています。
一般には「勤労」「分度」「推譲」の実行と説明されています。
「勤労」とは、こつこつと仕事に励むことであり、これは解りやすいですね。
「分度」とは、収入に応じて支出を計画することですが、
これこそ計画経済の基本です。
収入規模を超える投資を借金で実施し、経営破たんに至っている企業の
教訓にもなります。
「推譲」とは、「分度」によって得た利益を再生産に回すとか、
苦労した人に報い、社会にも還元するということです。
「推譲」は思いやりの心であり、いわゆる報徳精神です。
しかし、二宮尊徳は単に道徳を説いたわけではありません。
「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」
とも言っています。
道徳と経済の融合を述べているのです。
一般に二宮尊徳は徳の人と思われていますが、単に徳を重んじたのではなく、
経済の改革が一番の業績だったのです。
尊徳は現在の神奈川県小田原市の出身でした。
私は小田原市に住んでいることもあって、
報徳博物館というところで週に1度行われていた尊徳研究会に
よく顔を出していた関係で、尊徳の経済改革の実績を知りました。
二宮尊徳は生涯で、非常に多くの地域(藩)の財政建直しを指導しました。
現在流にいえば偉大なコンサルタントでした。
ここでは、彼が晩年に行った相馬藩での指導例を示しましょう。
尊徳は56才頃から相馬藩の再建指導に尽力しました。
この時代は日本全体が長期の停滞状況にありましたが、
相馬藩は特にひどい状態でした。
人口の面で見れば、1720年に9万人近かったものが、
1800年には4万人程度に減少しています。
年貢収納米の面では、1720年に約16万俵であったものが、
1800年には約7万俵にまで激減しています。
これは農民の生活が苦しく、相馬藩から他へ流出していったからです。
このような低迷は1840年くらいまで続きました。
二宮尊徳は相馬藩に対して1844年以降、次のような施策を指導しました。
★過去180年間の収納米その他のデータを調査した。
★実態調査にサンプリング法を使い、管理図法を完成させた。
★データや実態調査の分析を進めた。
★管理限界を定め、これを越えた収益があれば再投資に回した。
★長期的な方針を示し、かつ短期的な目標も指示した。
これらの施策により、藩の再建を成功させたのです。
これらのことは、現代の企業経営に多くのヒントを提供しています。
以下にそれをまとめてみました。
★データや実態調査に基づく正しい分析
★分析結果を重視した戦略の立案
★目で見える管理図の考案
★長期的な方針を示し、年度ごとの短期目標も明確に設定
★利益の確保と適正な再投資
★自己資本の充実とキャッシュフロー経営の確立